はじめに
作業療法士として、妊娠中や産後の方とお話ししていると「分娩室に入る瞬間が一番こわいです」という声を本当によく聞きます。
私自身も、はじめて立ち会いで分娩室に入ったとき
・この後、どんなことが起こるんだろう
・ちゃんとサポートできるかな
と、心臓がドキドキしたのをよく覚えています。
その中で印象的だったのが分娩室に入る直前に、深く息を吐けた人ほど、呼吸が上手に使えていたということです。
医学や助産の研究でもゆっくりした呼吸は、不安や痛みをやわらげて、出産をスムーズにする助けになることが報告されています。
この記事では
- なぜ深呼吸が心と体に良いのか
- 赤ちゃんにも届く深呼吸の効果
- 分娩室に入る前にできる簡単な深呼吸のやり方
を、できるだけやさしい言葉でお話しします。
ところどころに、私が現場で見てきた目線や感じたことも、そっと混ぜていきますね。
不安と緊張が強くなると体の中で何が起きているのか
分娩室の前に立つと、多くの人の体にこんな変化が起きます。
- 心臓がドキドキする
- 呼吸が速く、浅くなる
- 手のひらや足の裏が冷たくなる
- 肩や首がガチガチに固くなる
これは「ダメな反応」ではなく体が本気で危険から守ろうとしているサインです。
自律神経のうち、戦う・逃げるモードを作る「交感神経」が強く働くと体はいつでも走り出せるように、全身を緊張させます。
でも、出産で必要なのは
- しっかり酸素が入った落ち着いた呼吸
- 子宮や骨盤まわりのしなやかな動き
です。
そこで役に立つのが、ゆっくりした深呼吸で、体のブレーキ側(副交感神経)をオンにすることです。
研究でも、ゆっくりとした呼吸を行うと、自律神経のバランスが整い、不安や痛みの感じ方が下がることが報告されています。
作業療法士として見ていても「怖いけど、とりあえず息を吐こう」と意識できた方はその後の陣痛中も、呼吸を上手く使い続けられていることがとても多いです。
深呼吸が心の緊張をゆるめる理由
深呼吸には、大きく2つの効果があります。
1つ目は、脳の緊張スイッチを切り替えることです。
不安や恐怖を感じているとき、脳の「扁桃体」という場所が強く働いています。
ここが過剰に働き続けると
- 不安なイメージばかりが浮かぶ
- 最悪のパターンを何度も想像してしまう
といった状態になりやすくなります。
呼吸に意識を向けて、ゆっくり息を吐くと
- 心拍数が下がる
- 筋肉のこわばりがゆるむ
といった、体の変化が起こります。
この「体の変化」の情報が脳に戻りもう全力で警戒しなくても大丈夫かもしれないと、扁桃体の働きを少しずつ静めてくれると考えられています。
2つ目は、「今ここ」に意識を戻しやすくなることです。
深呼吸をしている間は
- 何秒吸うかな
- 今、どこまで吐けているかな
と、呼吸の感覚に注意が向きます。
その数秒間だけでも「もし失敗したらどうしよう」という未来の不安から「今、息を吐いている自分」に意識が戻ることで頭の中のぐるぐるが少し弱まります。
私も、緊張が強い妊婦さんと一緒に「せーの」で3回だけ深呼吸をしてから分娩室に入ることがあります。
それだけで「さっきまでより、少しだけ冷静になれました」という言葉を聞くことがよくあります。
深呼吸は赤ちゃんの安心にもつながる
深呼吸は、お母さんのためだけのものではありません。
赤ちゃんに届く酸素の量にも関係しています。
不安や痛みで呼吸が浅く速くなると
- 血のめぐりが乱れる
- 体のすみずみに酸素が届きにくくなる
と言われています。
逆に、ゆっくりお腹を使った深呼吸ができると
- 母体の血流が安定する
- 子宮の緊張がやわらぐ
- 胎児の心拍が穏やかになる
といった変化が報告されています。
助産の研究でも、呼吸やリラクゼーションを取り入れたお産の方が
- 不安や痛みのスコアが低い
- お産の満足度が高い
という結果が、多くの論文で示されています。
作業療法士として現場にいるとママさんの呼吸が落ち着いたタイミングで、赤ちゃんの心拍も安定してくるという場面にたびたび出会います。
だからこそ、私はよく「深呼吸は、赤ちゃんに送る『大丈夫だよ』のメッセージですよ」とお伝えしています。
分娩室に入る前にできる簡単な深呼吸
ここからは、分娩室の前で実際にできるとてもシンプルな深呼吸を1つご紹介します。
ポイントは「難しくしないこと」と「吐く息を長くすること」です。
やり方はこんなイメージです。
- いすやベッドに腰かけて、背中を軽く伸ばす
- 片手を胸、もう片方をお腹に当てる
- 鼻から「4秒」かけて息を吸う
→お腹の手が、ふくらむのを感じる
- 「1秒」だけ、そのまま静かに止める
- 口から「6秒」かけて、ふぅ〜っと細く長く吐く
これを、3回だけでかまいません。
大事なのは
- きれいにやろうとしすぎないこと
- 数がずれても気にしないこと
です。
もし、数を数えるのがしんどければ
- いつもより少し長めに吸って
- それよりもっと長く吐く
この感覚だけでも十分です。
私がよく妊婦さんにお伝えしていたのは「上手にやる呼吸」ではなく「自分をやさしくゆるめる呼吸」でいいですよということです。
日常のうちから少しずつ練習しておくと安心
分娩室の前だけでいきなりやろうとすると緊張が強くて、呼吸どころではないこともあります。
そこでおすすめなのが妊娠中のうちから、1日1回だけ深呼吸を練習しておくことです。
例えば
- 夜、寝る前に布団の中で3回だけ
- 検診に行く前の待ち時間に3回だけ
- 不安なニュースを見てざわざわしたときに3回だけ
というふうに、「ついで」に取り入れてみてください。
作業療法士の立場から見ると体にしみついた習慣ほど、本番でも自然と出てきやすいです。
深呼吸が「特別なこと」ではなく自分を落ち着かせるいつもの動きとしてなじんでいると、分娩室の前でも思い出しやすくなります。
さいごに
ここまでのお話を、あらためてまとめます。
- 分娩室の前でドキドキするのは、とても自然なこと
- 不安や恐怖は、あなたと赤ちゃんを守ろうとする体の反応
- 深呼吸は、そのスイッチを少し弱めてくれる、一番シンプルな方法
- お母さんの呼吸が落ち着くほど、赤ちゃんも安心しやすくなる
- 「上手にやる」より「少し長く吐く」を意識できれば十分
分娩室に入る前に、どうか自分にこう声をかけてあげてください。
「こわくてもいい。とりあえず、ひと息つこう。」
そのひと息は、弱さのあらわれではなくあなたと赤ちゃんを守る、とても力強い行動です。
作業療法士として、感じるのは完璧なお産をすることよりもこわさを抱えたまま、それでも一歩ずつ進もうとするママさんの姿が、何よりも尊いということです。
分娩室の扉の前で深呼吸をするあなたの姿はすでに、命と向き合う親としての一歩を踏み出している姿でもあります。
あなたのそのひと呼吸が少しでも、心と体を楽にしてくれますように。
参考文献
- NHS. Labour and birth: breathing and relaxation techniques, 2022
- A. Palimbo et al. Breathing techniques and warm compresses as therapy for labour pain, 2023
- K. Kido. An integrative review of fear of childbirth, 2023
- 日本助産師会. 分娩時の呼吸法とリラクゼーションによる支援に関する報告, 2023


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